「雨ニモ負ケズ」という詩があります。有名な宮沢賢治の詩ですが、私が今でも全文を暗唱できる好きな詩の一つだったりします。学生時代の苦しい時期に読んだのでよく覚えています。
学生時代の挫折
大学生活ではいろいろと無理をしていました。夜間大学だったので、昼はアルバイト、夜は学校という毎日。土曜日は丸一日学校でしたし、理系の学校だったので、日曜日はレポートを書いたりと休む暇はなかったです。
大学は進級に厳しいところで、学年の半分くらいは留年していくような環境でしたから、サボるわけにもいきません。風呂無しの激安ボロアパートで、壁の薄さと元気なGのせいで、夜中もまともに眠れない環境のなか、少しでも就職に有利にするため資格の勉強をしていました。
当時は健康診断を受けるたびに栄養失調と診断されたり。いつの時代の人間だよ・・という感じですが、そんな環境でも頑張れたのは将来に対する目標と希望を抱いていたからに他なりません。
山中鹿之助の「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」のように、まさに不撓不屈に頑張る自分が好きで、そんな自分にちょっと酔っていたかも(笑)まあ、そう考えないとやってられませんでしたから。
きっとこの努力は報われる、そんな思いでやってきた私にとって、就職失敗はかなり大きな挫折経験となりました。就職氷河期であったことも影響したんでしょうか・・?よく分かりません。
今考えると、就職に失敗したくらい大した事柄ではないです。今の私にとっては本当に些細なこと。
でも当時の私にとって、心の拠り所が完全に無くなってしまったような・・そのくらい大きな出来事だったことを覚えています。
そして廃人のように
人はゴムみたいなもので、適度に伸ばそうとすると、伸びていきますが、無理やり伸ばそうとすると切れます。自分でも気付かないところで分不相応に無理をしていたのでしょう。張り詰め過ぎたゴムが切れるように何かが壊れ、そのときを境に廃人になったように何も出来なくなりました。
頑張ろうとしても頑張れません。気力が完全に底をついたというか・・。全ての事にやる気が無くなり、大学にも行かなくなり留年は確定。ボロアパートに引き籠り、毎日アルコールを飲んだくれる始末。

まだ最終年の奨学金は出ていましたし、最低限度の生活が続けられるよう惰性のようにアルバイトだけはこなしていました。
REDというその時代では一番安いウィスキーが近所のスーパーに安売りされていたのですが、4000mlのペットボトル入りを買っては、ほぼ1週間ほどで空けてましたね。完全にアル中状態でした。徹夜で朝まで飲んで、そのままアルバイトに行くとかザラでした・・。
その体たらくでは次年度の学費も払えないでしょうし、もう完全にいろいろと諦めていました。もう何をするのかも、していいのかも、するべきなのかも分からなくなりました。留年した1年間は本当に最低限度の生活のこと以外は何もしなかった記憶があります。
近所の川辺の堤防に座って、一日中ひたすら水面を眺めていた日もありましたね。かと思えば、川原に向かって大声で叫んだりとか。完全にオカシくなって病んでました(笑)
退学したであろう自分は、もう一人の自分
ちなみに留年が確定し、次年度の学費を払うお金も無かったため、退学手続きをしようと冬の終わりに大学に行ったとき、すでに次年度の学費が払われていた時は驚きました。親が払ってくれたんですね。恐らく実家に連絡が入ったのだと思います。
私は何も知りませんでした。余裕あるお金も無かっただろうに、その点は今でも感謝しています。
もし卒業していなかったら、ただ大卒中退という事実と奨学金という借金だけが残っただけですからね・・。
ちなみに大学を卒業できなかった夢を今でも見ることがあります。ものすごく現実味があって、夢の中では夢だといつも気付かないのです。そして夢から覚めるたびに思うのです、あれは別の世界線のもう一人の現実の自分ではないかと。
といっても、別に大学を卒業しなかったところで別の人生を見つけて歩んでいたでしょう。夢の中の私もそうでした。まあ何とかなるもんです(笑)
宮沢賢治の雨ニモ負ケズ
ところで、そのころ読んで印象に残っている詩が「雨ニモ負ケズ」。有名な宮沢賢治の詩ですが、全文をご存じですか?詩の序文だけでは一見すると、逆境に対して立ち向かう姿を詠った詩のイメージがありますが、全文を読むと印象が変わります。
読む人によって解釈が分かれていくことは素晴らしい詩の特徴。
この詩は人が謙虚に生きることの重要性を説き、その生きざまに対する敬意を詠ったものだと私は感じ取りました。
不器用にも謙虚に生きる人間の儚さ、周囲に認められない寂しさ、そしてその孤高の美しさが情景として目に浮かぶような郷愁感溢れる詩です。
尚、詩は「ソウイウモノニ、ワタシハナリタイ」という一文で終わっています。この一文にこそ救いがあると感じます。すなわち誰にも理解されない不器用な人間。だけど作者である宮沢賢治はそんな生き方を全肯定し、あまつさえ憧れに近い感情を抱いているように思えるからです。
ああ、でくの坊でいいんだ・・と、この詩を読んだとき、急に気が抜けて楽になったのを覚えています。結局、そのときの自分は勝手に重い枷を自身につけて、勝手に動けなくなって苦しんでいただけだったんでしょうね。
努力をすれば成功できるとか、何か成し遂げようとか、苦労は報われるだろうとか、他人から羨まれる立派な人間になろうとか、私にとって、そんな雑音や思い込みから解放させてくれる詩でした。
でくの坊として・・
努力をしなければ、報われることはありません。しかし努力をしたからといって報われるわけでもありません。
例えば富裕層が金持ちであり続け、貧乏人は貧乏人のまま、貧困は連鎖していく・・だけど本人の努力次第で環境は変えられる、そんな反骨心が単なる凡人の私をつき動かしていた気がします。
その一方で理想と現実のギャップに苦しみ、生活環境はいつまでも変わらず、自分のやっていることにもどかしさを覚え、努力は報われずに終わっていく。
ただ仮に頑張った結果として、何も得られず、何も変えられず、不器用に生きただけだとしても、それはそれで肯定すべき素晴らしい人生です。分相応に生きて、身近な周囲の人たちのために行動する、そんな生き方ができるだけで素晴らしいこと。
でくの坊で不器用な自分を優しく、そして強く肯定してくれる、そんなこの詩が大好きです。